企業訪問

【20.03.01】クローズアップ会員企業訪問(30)

同友会で学び、絶対的差別化で創業50年

 \; 喜多ハウジング株式会社
取締役会長 喜多 計世 会員

 1970年、喜多氏は25歳で勤めていた会社を辞め、金沢市で工務店の下請けをする内装会社、喜多室内装飾を創業しました。最初に期間5年以内の目標として、?石川県インテリア協同組合で一番になる、?社屋の建設、?手形は切らない、?乗用車は買わない、の4つを掲げ、その全てを期間内に実現しました。
 1976年、企業研修で訪れたドイツのフランクフルトで家具や内装などのインテリアを重視した部屋づくりを見て、新しいアイデアが生まれます。通常の家づくりでは建物を作ってからインテリアを考えるのが一般的ですが、まず快適な暮らしのためのインテリアを先にデザインし、それに合わせて建物をつくる建築会社を起こしたいと考えたのです。しかし、そんなことをすると仕事を発注してくれる工務店と競合することになり、仕事がなくなってしまう恐れがあります。大きな不安の中、一度きりの人生、自分のやりたい事を思いきり正々堂々とやるという自らの人生観に従い、県内トップになった内装会社の廃業も辞さない覚悟で1979年、喜多ハウジング株式会社を設立しました。

 喜多氏は1982年に同友会へ入会し、何よりも経営者が学ぶことの重要性を知り、その後の事業発展につながったと言います。
 石川同友会の代表理事も4年務めましたが、最初の2年は自社経営そのままのトップダウン運営で、会員が誰もついて来ませんでした。失敗からボトムアップ経営の大切さを学び、その後の会社経営は大きく好転しました。また、同友会の全国大会にも積極的に参加し、多くの仲間ができ、その人脈から会社は大きく飛躍します。
 1984年の広島での全国大会で、兵庫同友会の友人から聞いた日本増改築産業協議会に入会し、1985年には第1回日本増改築コンクールの建設大臣賞を受賞しました。この快挙が品質の後ろ盾となり、その後個人客からの受注が大幅に増えました。
 現在、本社社屋には巨大な垂れ幕がかかり、そこには「全国リフォームコンクール35年連続受賞!!」と書かれています。なんと、第一回の大臣賞以来35年間連続で受賞を続けてきたのです。これらこそが企業品質と商品力において、他社が真似できない時間軸を超越した絶対的差別化になり、今年創業50周年を迎えるまでの事業発展につながりました。

 同社には営業社員がおらず、同業他社と見積りなどで価格競争もしません。それは、商品の絶対的差別化を背景に価格よりも価値を重視するお客様だけをターゲットにしているからです。さらに、購買決定権を持つ女性の支持を集める独自の戦略をとっています。建築会社には珍しい男性よりもはるかに多い女性社員が前面に出て、デザイン、プレゼン、接客といった業務につき、男性は現場管理やアフターサービスなどサポート業務に従事しています。
 このような会社の価値観を共有するために、場を清め、時を守り、礼をつくす、社員・パートナー(協力業者)の教育に力を入れています。社内では毎月、経営誌を全員が読み、少人数のグループで討論し、意見を交わすことで、よりよい答えを導き、経営者目線で考える力を身につける価値観研修を行っています。この研修で多くの社内改善案や新たなサービスが生まれました。さらに社員全員が入社して3年間は毎月、自ら選んで読んだ本から3000字のレポートを提出します。この課題は喜多氏自身が読書から様々な知識を得、成長してきたことから始めたものです。これまでにこのレポート提出の脱落者は1人もなく、社員の全人格的成長へとつながっています。また毎週一回、社員全員が2人一組になり、テーマにそって片方が相手に1分半のプレゼンをし、受け手はそれを1分に要約するという勉強会を10年以上続けています。喜多塾と呼ばれ、自分の考えを要約して伝える力や、相手の思いを聞き取る力、プレゼンやコミュニケーション能力を養うのにとても役立っています。
 職人不足や一人前に成長するまでの時間をリスクと捉え、そのために会社の成長の範囲内で社員を雇用し、手厚い社員教育によって、毎年少しずつ企業規模を拡大する年輪経営に力を入れています。
 2010年には社内から新社長を登用し、事業承継も果たしました。2016年には中小企業庁のはばたく中小企業300社に建築業界で唯一選ばれました。地域とお客様、社員のために喜多ハウジングはこれからも更に大きく羽ばたいていくことと思います。

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