新型コロナ関連

【20.11.25】ウィズコロナ奮闘記(7)

「変化に対応できる組織」に成長

 \; (有)白崎シーサイドホテル 多田屋
代表取締役社長 多田 健太郎  会員

 多田会員は明治18年創業、今年135年目の老舗旅館、和倉温泉多田屋の6代目。2006年に旅館に戻った頃は父親世代の社員ばかりで自分の居場所がないと感じるほど信頼関係の構築に苦労しました。話を聞いてもらえない、言っても変わらない、変わりたくないという社員。話を聞いてもらうにはどうしたらいいのかを考え、どんな旅館にしたいのかを自問自答する日々が続きました。
■ 度重なる大きな試練が転機に
 2007年3月に起こった能登沖地震。パニックの会社で現場の指揮をとったことから社員の多田会員を見る目が変わり始めました。2010年、数字に強い支配人を採用しましたが徹底した数字管理と指示にスタッフが疲弊。75人いたスタッフが45人になりました。翌2011年6月には料理長の総上がり宣言。時代の変化から団体客から個人客が多くなり、連泊するお客様も増えました。
ニーズに合わせた料理を料理長にお願いするも動いてくれない。社長に説得を依頼しましたが、翌日の全体会議の場で料理長から「専務はワシを辞めさせたいと聞いたが本当か!」と言い寄られる事件も起こりました。話し合いの末、調理場スタッフの8人中5人が辞めるという事態に陥り、一番の繁忙期である夏休み期間を料理長不在で耐えることに。これらの試練を乗り越えたことから社員と腹を割った話ができるようになりました。
  しかし、今度は変わる専務側、変わらない社長側に社員が分かれていくようになり、会社が割れてしまわないように意識しつつ、社員と対話しながら自分らしい経営者像を模索していきました。 
 2015年に承継し、3年間を先代からの移行期間とし、業者会の解散、会計事務所の変更等、多田会員の目指すフラットな経営環境を整えました。
■ 多田屋らしさの追求
 採用はこれまでの欠員補充の方針を転換し、多田屋らしさを共有できる人材を採用するために、基準を見直し、面接に女性社員を同席させるなど方法も変更しました。受け入れる土台ができてきたこともあり、定着率が上がり、思いを共有できる社員が増えていきました。プロジェクトを通して判断基準を伝え、変化に対応できる組織を作っていきました。また、建物の修繕やお客様向けが主だった予算の使い方も、社員の労働環境改善、休業日や稼働率抑制など働き方改革へとシフトしていきました。
■組織に柔軟性と一体感
 新型コロナウイルスの影響で3月末からキャンセルの嵐となり、4月の売上が前年比の15%に落ち込みました。4月29日から6月9日までを休業と決め、休館中は今だからできること積極的に行い、これまで築いてきた「変化に対応できる組織」が花開きました。社員が自主的に提案し、掃除、修繕、整理、リピーターに葉書を書く、ECサイトの立ち上げ、ウェブサイトの刷新等を行いました。縦割りの枠を超え組織に柔軟性と一体感が出てきました。感染拡大に配慮しながらも再開後は6月22日から県民割がスタートし、7月以降も順調にお客様が回復しています。
 変化に対応できる組織に成長した今「多田屋は一泊二食の宿泊産業ではなく地域の魅力発信産業として旅館を営み、地域に必要とされる会社であり続ける」という理念を形にしていく準備が整いました。
 「地域と共に成長し、面白いことをやる遊び場、クリエイティブな会社を目指す」という多田会員に、自信と旅館の枠を超えた新しい価値の創造を感じました。

※同記事掲載会報誌参照 http://ishikawa.doyu.jp/paper/pdf/2020/202012.pdf

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