【12.05.15】のと・北金沢・金沢南・はくさん支部 5月合同例会
ビジネスモデルを見つけ出す 価値のあり方を変える
報告者:喜多 甚一 氏 ㈱アクティ―/ビーインググループ CEO
例会テーマ:
「 ビーイング・グループ成長の軌跡 」
◆食べるために起業
社長になろうと思って社長になったわけではない。自分が独立したきっかけは、独立せざるを得ない状況になったからだ。二十八年前に祖父の代で築いた運送業を父が受け継ぎ、父も優秀な経営者だったが、オイルショック等の影響や、祖父が企業家から政治家に転身、若くしていきなり会社を受継ぐことになり、父は必至で会社を経営していたが、残念ながらその甲斐もなく会社を清算する事になった。それが、一つの独立のきっかけなった。
まず、親があてにならない。親が保証人になれない。二十歳で自分の食べる物を自分で稼がなくてはならない。そのためだけに独立をした。社長になりたい、会社を起こしたいそういった理由ではなかった。自立した生活が送れるようになりたいという思いだった。二十万円あれば一人で生活していく事が出来たが、今から二十五年程前、私は高校までしか出ておらず、高卒初任給で勤めに入っても八万~九万円が平均だった。三十歳を過ぎでも十三~十四万円がいいところだった。アパートを借りて一人暮らしをするためには、どうしたらよいのか、二十万円を稼げる仕事を何でもいいからやってみようと思った。そこに、たまたま、父が家庭を支えるためにやっていた仕事に人が足りないと言うことで、最低二十万円保証してもらい仕事を始めた。この時が独立の始まりだった。この時は社長になろうとか会社を起こそうという気は全くなく、当時は嘱託営業という営業マンという立場で雇ってもらった。この時も運送業を始めようと全く思っていなかった。何故かというと、父親が大変苦労していた姿を幼いときからずっと見てきていたからだ。
◆ピンチをチャンスに
運送業に対してのイメージは最悪だったので、運送業を引き継いでやりたいとは思っていなかった。運送業が儲かるというイメージも全くなかった。だから、運送業を自分がやるという事は、二t車に乗って営業配達していても、運送業をやるとは全く思っていなかった。独立しよう、運送屋をしよう、社長をしよう、とは全く考えていなかった。やらざるを得ない状況に追い込まれ、それをやっていく。追い込まれた状況から、ビジネスモデルを見つけ出していく、これが私の成長の軌跡である。いろいろ考え、やりたい事を考え思いがあってやってきたわけではなく、ピンチをチャンスに変えてきた。
◆イノベーションで
チャンスとチェンジをアルファベットで書くと一文字しか違いが無い。チェンジすることでチャンスが生まれる。厳しい状況においても、その状況を冷静に分析してプラス思考で物事を考え、そして自分たちの新しい事業の価値、顧客に対する価値の創造、それを見つけ出しサービスを提供していく。まさに、一つのイノベーションである。
イノベーションを説明する時によく言っていることがある。イノベーションとはどのようなことかというと冷蔵庫を北極に持って行くようなものだ。冷蔵庫とは商品を冷やすために使うという固定概念がある。ところが、ドラッガーが言いたい事はイノベーションとは何も変わったことをやれという事ではなく、同じ商品であったとしても、その使い方、利用の仕方、いわゆる価値として提供するものが変わる、顧客に対する価値のあり方を変える、これがイノベーションと言っている。つまり冷蔵庫は冷やすために使うのではなく、ドラッガーが北極に冷蔵庫を送るということは、商品を冷やさない、保温のためである。そういうことが一つのイノベーションだと説明している。