【12.02.25】がんばる社長(9)
㈱ムラキ工業 村木 峰子 社長
専業主婦から社長業への転換
~先代社長の生き様を受け継いで~
経営理念に「不撓不屈」と掲げる(株)ムラキ工業。聞くと22才で結婚後、14年前までは専業主婦で全く仕事に携わったことはなかったとのこと。それが前社長であるご主人が突然病で余命2年と宣告される。その時、次の社長を引き継ぐように命令される。まだ借金のある会社なので他の社員を社長にさせるわけにはいかない。身内が責任もって会社を経営させなければいけないという理由で社長を引き受ける。それまでは、子育ての他にはゴルフや趣味に時間を使っていた専業主婦で、全く仕事の事はわからなかった。そこから2年2ヶ月後亡くなるまで、前社長の仕事を横に付いて見ていた。社員には最後まで社長が不治の病だとは伝えなかった。入退院の繰り返しであったが、社員から社長への暖かい気遣いが感じられ、それまでの社長と社員の関係がいかに良好であったかがよくわかったとのこと。亡くなる一ヶ月前、社長最後の仕事は、社員一人一人との面談であった。無理を押して一日2人ずつ長時間話をしていた。自分の夢や次の社長の事、将来の事などを託していたのではないかとのこと。前社長の生き様がまさに「不撓不屈」であり、そのまま企業理念になったようだ。
社長に就任してからは、社員が一生懸命に働いてくれ、当社の自慢は技術の高さでありたくさんの表彰を受けた。設立当初の仕事は、NTTの公衆電話BOXの屋根制作、次いで、回転寿司の回転プレート、その後内装壁紙の糊付け機から組み立て部材の設計から組み立てまで一貫して受注している。
今まで決算時に社員全員に決算賞与を支給していたが、2回だけ支給できない事があった。それはリーマンショックの時で、売上が6割ダウンした。さすがにショックでどうなるかと思ったが国の政策の雇用調整金に助けられ立ち直る事が出来た。仕事の受注に関しては、それまで一年二年先の仕事があるという状況ではなく、今の仕事を受けながら次の仕事が来るという状況で、同業の社長から、この業界はその様なものだと言われ覚悟ができた。
今業績が良い一つの要因は、人間関係から生まれた仕事である。十年来の仕事以外の付き合いで人間関係を作るために入会した会のメンバーの一人が他県に視察に行った時、ふとムラキ工業に関係のある仕事を見つけてくれて、これなら良い会社があると薦めてくれた。そこから生まれた仕事である。
運も実力のうちと言うが、村木社長を見ていると技術に裏付けられた自信が感じられ、その技術を発揮する社員を大切にするからこそ、自信となり実力となっていくのだと感じた。【取材:小西正行 広報・情報化委員】