【14.05.01】「TakeOff!」~未来へ向かう羅針盤~(2)
㈲白崎シーサイドホテル 多田屋 専務取締役 多田 健太郎
「ひとかど」の人間になって試練から復活
今年度、能登支部長を拝命した。弱冠三十七歳、会歴五年の私には重責だが、やりがいはある。入会して一年目に経営指針成文化講座を受けた。経営理念をつくることと金沢で人脈を作ることが目的だった。経営に携わったばかりで悩みは沢山あった。経営指針講座ではそれを一つずつ洗い出すことができ、大変いい勉強になった。ただ、最後まで納得の行く理念が出来上がらなかったのが残念だ。機会があればもう一度挑戦したい。経営指針を勉強する同友会のよさを他の経営者にも伝えて会員を増やしていきたい。
私には信条がある。社長である父は大手代理店への営業で団体客を呼び込むことをモットーとし、私の考えと違う。私は大手旅行代理店に頼りすぎず、インターネット等を活用し個人客中心に誘客する。そして、自慢の料理と和倉で唯一夕日が望めるロケーションで「多田屋」のファンを増やしリピーターにつなげる。それが何れ自力となって経営が安定するはずだと信じている。
経営には必ず正念場がある。東日本大震災による自粛ムードが能登半島まで広がる中、春なのに和倉の街は誰一人いないという経験をした。もっと辛い試練も浴びせられた。三年前に起きた事件だ。料理長はじめ料理人が一斉にやめてしまう、いわゆる「総上がり」に遭った。調理場はがらんどうで、それでもお客を迎えなければならない。社員も辞める中、世代交代と人手不足でてんてこ舞いになる。若女将も必死に苦境を切り盛りする。社長は見て見ぬふり。私は毎日、私の考えと共鳴してくれる料理長を探し続けた。そんな中ついに、妻である若女将が爆発する。彼女が社長にかみついた。家庭崩壊の危機、旅館経営に危機。ようやく社長が動いたのだ。今から考えれば、本当は我慢して手を出さなかったのだと思う。そんな中、ようやく長野で新しい料理長候補に出会った。「多田屋」の料理に新風が吹き込まれた。
社長の営業が功を奏し団体客で賑わいを戻した。インターネットの予約も定着してきた。「多田屋」は見事に復活した。今から思えば、社長は我が息子に成長してもらいたかったのだ。社長から言われた忘れられない言葉は「今のおまえは丸い。左を向けば左にゴロゴロ、右を向けば右にゴロゴロ行くだけ。ひとかどをもってドシッと構えろ」。経営の経は「たていと」という意味。親から子へ、子から孫へ。そうして経営は繋がれていくのだ。
【取材:金谷道憲 広報委員】