委員会活動

【14.01.21】2014新春講演会

  講師:㈱ふくや 代表取締役社長/福岡同友会 川原 正孝 氏
テーマ:「私の経営理念」 ~人を活かす経営~

1月21日(火)ホテル金沢にて2014新春講演会が行われ、162名が参加した。以下講演要旨。

明太子誕生のきっかけ

 韓国の釜山で生まれ育った両親は、戦後博多へ引揚げてきた。「残りの人生は社会に役立つような人生でありたい」と考えた父は、食料品店「ふくや」を創業した。海外の缶詰等を仕入れて販売し繁盛したが、すぐに大手が真似をした。そのうち、他店では手に入らないオリジナルの商品を置こうと考えた父は、韓国で慣れ親しんだキムチ風のタラコを思い出しながら再現し店頭に並べた。昭和24年1月、明太子の誕生である。だが日本人には辛すぎて口に合わず、あまり売れなかった。PTAや地域活動に積極的に参加していた父は、集まりがあると必ず明太子を持って行き、皆さんに味の批評をしてもらっては改良を重ねた。10年かけてこれだという味にたどり着いた。

 明太子が口コミで広がり評判になってくると、明太子を卸してほしいと相談を受けるようになった。その時、父は「ふくやは卸をしない。その代わりに作り方を教えるから、ふくやとは違う味付けにして作ったらどうか」と話をしたそうだ。父は明太子の製法特許を取らず、教えを請う方には作り方を教え、次々と明太子メーカーが誕生し、昭和50年の山陽新幹線博多開通とともに明太子は爆発的な成長を遂げた。明太子メーカーが切磋琢磨して味にこだわったおかげで今は1,200億円ほどの市場になっている。

従業員自ら学ぶ環境を作る

 昭和53年、父の体調が悪くなり兄か私が後を継いでほしいと言われた。二人とも銀行勤めだったが、兄弟で話し合い私が先に戻ることにした。そのため銀行の取引先に挨拶廻りをしたのだが、箱に「元祖」とあればふくやのだとすぐに分かるから戻ったらぜひ「元祖」と入れて欲しい、と言われたので、その話を父にしたところ「元祖と入れたところで味が良くなるのか?より美味しい明太子を作るため、商品力を高めることに注力しろ」と一蹴された。だから今でも明太子メーカーはどこも「元祖」という言葉は使わない。その時もし当社が「元祖」とつけていたら、今では「元祖」だらけの明太子ばかりになっていただろうと思う。

 また当時、デパートなどに販路を広げていた他社がシェアを広げていた。ふくやの売上も伸びており店には常にお客様の列ができていたが、店員は挨拶やお礼の言葉もなく、ただ商品を渡していた。いずれ味も値段も他社に追いつかれてしまう。商品力が同じであれば、お客様はより対応の良いところへ行ってしまう。それならと接客を中心としたサービスを考えた。まず接客研修を行ったのだが、3ヶ月の研修の後、講師から「研修を受けろと言われたから受けているだけでやる気が無い。従業員自らが学ぶ環境を作るのが経営者の仕事だ」と言われた。また従業員を入れ替えようとリストラを考えたが、母に「従業員を守るのがお前の仕事だ」と酷く叱られた。

 その後、入社した初の女性社員3名に、福岡で接客がいいと評判のお店に行ってリサーチするようにお願いした。そしてその社員が店頭に立つようになってから初めて挨拶を始め、その3ヶ月後にお客様に味や価格、接客についてのアンケートを実施した。その結果、同じ商品の購入でも接客によって美味しさも価格も変わるということが分かり、ブランド力を作るのは商品力だけでなく携わる人も重要だと学んだ。

当たり前を社風に

   当社の経営理念は「強い会社・良い会社」。当たり前のことだがこれが案外難しい。しかし当たり前のことを社風にしてしまおうという考えだ。父の時代から経営理念はあったが、従業員と共有出来ていなかった。今では年に一回、自らの言葉で全従業員に経営理念を伝えている。経営理念を社員と共有し繋いでいくことが、会社の歴史にも繋がると信じているからだ。

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