委員会活動

【14.04.22】第39回定時総会

第39回定時総会

  ■「着眼大局 着手小局」をスローガンに

4月22日(火)、金沢エクセルホテル東急にて第39回定時総会が行われた。
◆第1号議案
「2013年度運動の経過報告と課題」
部例会では委員会との連携が進んだ。課題はグループ討論の質の向上や小グループ活動の活性化と退会者を減らすこと。各委員会では方針・計画にそって事業を実施。石川独自の経営教養委員会なども活発。復活した障がい者委員会では外部交流の足掛かりができた。青年部会は2016年の青全交石川を見据え、部会五ヵ年ビジョンにそって活動。三位一体経営である、経営指針、社員共育、共同求人の連携が課題。今期から議案書に行事の結果ではなく、実践者の事例を掲載した。
 ◆第2号議案
「2013年度 決算」
 ◆第3号議案
「2014年度 運動方針」
 【岩木代表理事】…「着眼大局 着手小局」が新年度スローガン。5か年ビジョンの第2年度として、企業づくりでは会員企業の黒字率50%、経営指針成文化率30%を目指す。同友会運動と企業経営は不離一体であるため、同友会で学んだことを企業経営で取り込んでいくことが肝要。経営者、幹部が先頭に立って、「人を生かす経営」を実践する。地域づくりとして県内一箇所に新支部を開設するため調査・準備に着手、新たに中小企業振興基本条例を制定する自治体を増やす。同友会づくりとしては組織率2.6%、会勢500名を達成し、支部活性化指数45を目指す。地域での認知度を高め、仲間を増やし同友会の影響力を高めていく。
 ◆第4号議案
「2014年度予算」


 
 

総会基調講演

   4月22日(火)定時総会基調報告が行われ「河野通洋氏(㈱八木澤商店 代表取締役/岩手同友会理事)が報告した。以下講演要旨。

■頭を下げる所からスタート
 二十六歳の時に後継者として会社に戻った。一八〇七年創業の蔵元で社員四十名の家族経営の会社だった。その時に大雨の浸水被害で二つの工場のうち一つが水没した。淡い期待で戻ってきたが、経営陣が賞与減額のため社員に頭を下げる所からスタートした。社員の経営に対する不満が爆発して、始めは社員と一緒になって親を批判していたが矛盾を感じてきた。社員にも不満を感じるようになり、金で繋がった関係なのだから短絡的に給料を上げればいいんじゃないかと思うようになり本を読んで勉強し、重箱の隅をつつくようなことをしてキャッシュフローをよくした。社員からは自分達との信頼関係をなんだと思っているんだと言われたが、そんなものクソくらえと言っていた。
 ある時メインバンクから貸し渋りにあい、自己資本比率が正確でないと言われた。重箱の隅をつつき経営改善して四億の売上で二千八百万円のキャッシュフローを改善した。金融機関用の経営指針書を作った。以来社内の指針発表会では、誰々さん、いつまでにこれをして下さいという経営計画の発表の仕方をしていた。会議では、何でできないのだという議論で沈黙になる。社員の不満も募っていた。
■指針講座で変わっていない自分に涙
 そうしている間に宮城同友会の気仙沼支部に入会した。同友会はグループ討論があるのでいいと思った。仕入先の社長に会えて売上が上がると思った。宮城の元事務局長の若松さんから指針講座を勧められて受講。経営者の道場でとても厳しいと聞いていた。片手に対金融機関用の指針書を持って、他の受講生にも指導したりと学ぶ気ゼロだった。誰からも何も言われず、半年経った頃、自分だけが変わっていないことに気付いてきた。周囲は真剣だから涙を流しながらやって変わってきていた。残り一ヶ月の時に、同期の会員に「なんか言ってくれ」と頼んだ。「あんたの会社で働かされる社員は地獄だ。経営者が偉いのか。数字と手段しか出てこない、そんなものに希望や展望を誰が抱くか」と言われた。そこでようやく、自分が社員だったら耐えられないと分かった。打ち上げの時には変わらなかった自分に耐えられずに、一人部屋に戻って経営指針書を見て泣いていた。そこに同期の会員が入ってきて「明日の朝まで時間がある。付き合うから経営者だったら何とかしろ」と言ってくれ、徹夜で作り直した。一夜漬けの酷い指針書だった。
■グループ討論で社員から罵倒
 会社に戻ってからが更に問題だった。社員を集めて「これからは信頼関係を結んでいい会社にしていこう」と演説した。この間まで、信頼関係なんかクソくらえと言っていた訳だから、社員からは不平不満で滅茶苦茶になった。毎月午後一回「よい会社にするには」というグループ討論をした。酷い意見ばかりで罵倒されてどうしようもなかった。若松事務局長に頼んで講師をしてもらい、最初社員は信用しなかったが、若松さんが「中小企業家同友会は間違った経営者を叩き直す会だから」と言った。そこから社員が同友会を信用するようになり、一緒に例会に出てくれて指針を一緒に作るようになった。今では九五%は社員が作っている。
■社員が食いっぱぐれない会社に
 醤油屋は四十年前は全国四千社あったが今は千四百社、八〇%が大手。衰退する中で何をしていくかだが、一言でいうと、どんな経営環境になっても社員が食いっぱぐれない会社にしていきたい。今三九%の国内食糧自給率だが、将来日本は飢えると考えている。エネルギーと食料の自立ができない国に未来はない。そこでまず自分達にできることを考え、地域で自分達で作ったものを食べる。これを子供達も一緒に行い地域内循環を起こす。
 社員教育を意識せずに人が育つ環境をどう作るかが醸造屋には共通のテーマだ。味噌、醤油は微生物が作ってくれる。会社も同じ考えで、社長が作るのではなく、社員が作るのであって、社員がよくしてくれるのだ。新卒社員は毎年採用して農業体験で泥まみれにする。学校の見学も多く、社員が案内するために、仕事の調整をし合い、生産量を落とさずにやりくりするので、これが活性化になる。
■「一社も潰すな」で支部設立
 岩手同友会の田村さん(高田自動車学校)に支部長をお願いしに行った。三十人以上の例会を三か月やったらすると言ってくれた。三ヶ月目は油断して当日二十六人しかおらず、気仙沼支部長に電話して三十分で六人連れて来てくれた。お陰で二十八名で気仙支部を立ち上げ「一社も潰すな」をスローガンに掲げた。一年後、一人が三か月で退会して三か月後に自殺した。それ以来グループ討論では、調子が悪そうな人がいると、声をかけたり会社に訪問したりする。実際に数字を見て悩みを言う。田舎の中小企業は七割が赤字で粉飾決算も多い。社員が帰った後に伝票を調べて実際の決算書を出してどうするか一緒になって考える。田舎では士業も少なく、仲間の会社を守るために、会員がユーキャンで中小企業診断士の勉強をしている。
■雇用を守る
 自社では年二回、高台に逃げる避難訓練をしていた。消防団のリーダーだった社員一人が責任感で、制止を聞かずに水門を閉めに行って犠牲になった。訓練では何も持つな、命だけを守って逃げろと言っていた。三.一一では、社員が何人も近所のお年寄りを担いで山に上がった。それは今でも誇りに思う。 
 津波で工場は全部飲み込まれた。父はちょうど東京にいて、四日目に戻って来た時に、経営を任せて欲しいと言った。四月一日に内定していた新入社員を呼んで「何もなくなった会社ですけど入って下さい」と言うとニコッと笑ってハイと応えてくれた。企業の雇用は何が何でも守る。当面は避難所に救援物資を配っていた。同友会では県内金融機関のフリーダイヤル一覧を作って配り、資金凍結のお願いをした。社労士もいない地域なので雇用調整助成金、一旦解雇して一時的に休業する方法などの説明会を行った。八六.四%の事業所が無くなったが、気仙支部八十八社のうち廃業は一社であとは今は全社再建している。陸前高田の会員は再建五三%。これを何とかしようと復興支援ファンドを立ち上げた。今、震災前の七割の売上になっている。陸前高田に戻るのに一年かかった。昨年十一月にようやく醤油を絞れるようになった。
■10年後に働く場所を作る
 気仙支部では、自分達で新しい事業を生み出して新しい顧客を生み出す事業再建型の経営指針を作る会を作ろうとしている。同友会のメンバーで「なつかしい未来創造」という会社も立ち上げた。ここが受け皿となって陸前高田でアントレプレナーが四十社生まれた。そこが事業を継続拡大して、五三%の再開率を上げて、十年後に働く場所を作っていくことを念頭に活動をしている。
 岩手県人の精神文化は宮沢賢治の農業芸術概論綱要にある「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」。若松元事務局長は「強い者だけが生き残る世の中を作るよりも皆が安心して暮らせる世の中を作る方が難しい。でもそれができるのは二百年続く会社が三千数百社ある日本の中小企業家だけ。地域で必要とされ事業を継続して、地域の雇用の受け皿になって生活の基盤となっている中小企業が日本の経済を底支えしているから、同友会の活動はなくてはならない運動なんだ」と言ってくれた。だから我々は今一所懸命に同友会運動をしている。

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